CAN I TRUST OVER FORTY?

四十までにどれだけ惑えるかを競うブログです

人生バカ一代

おはこんばんちは。髙橋です。

懲りずにまた絵を描いていたらこちらがおざなりになってしまいました。一応仕事は続けています。入院も失踪もしてないです。

今回の絵はとある生放送への投稿だったので、深夜にハガキを完成させたその足でコンビニで酒とつまみを買ってからPCの前に座りながらしこたまブログを書き始めました。随分前に買ったジャックダニエルテネシーハニーが最後の一杯残っていたので(偉いぞ過去の自分)ファミマのナッツ&フルーツを肴に絵を完成させた達成感に酔い痴れております。ああ^~、たまらねぇぜ

そんな変態酒親父はおいておいて、今回はその絵について話でもしようかと思います。

先回チラっとpixivへのリンクを貼って自分の描いた絵を載せましたが、ハッキリ言って才能がないです。真面目に描き始めたのがルサンチマンにまみれた高2、戦国大戦のイラストコンテストに応募したくてペンタブとSAIを導入したのが2011年なので、まあ最初から数えると15年ほど描いてる事になりますが、まあ上達しません。

小説は23だか24の時に書き始めてすぐ短編の最終選考に残ったり金貰ったりできたのですが、絵で貰ったものと言えばGBAのソフト2本くらいなものでしょうか。しかもデザインの賞なので絵の上手さは関係ありません。

となると、何で描いてるんでしょうか。今でも僕自身が訊きたいくらいですが、何かに真面目に取り組んだ事のある方ならば必ずぶち当たる問題だと思います。

絵なんてもっと上手い人が世の中にいっぱいいるんだから、その人たちに任せておけばいいはずなんです。今回の生放送のハガキもそうですけど、採用されなかったり日の目を見なかった絵の末路なんて悲惨なものですよ。しょうがないからpixivに上げて、そこでもまた評価されなくて惨めな思いして。仕事の時間ぬって睡眠時間や遊びの時間削って、仮に、万が一そこそこのお金をまぐれで貰ったとしても時給に換算すればいくらなんだよと、ちょっとでも頭の回る大人なら誰でもそう考えるはずです。

僕も若かった頃何度も何度もそう思いました。賢くないと。童貞のくせに青臭い自意識にまみれたクソ大学生は大嫌いだった大学を背に「お前らなんかとは違う!」と必死に足掻いていたわけですね。ああ典型的大二病。

ただね、それでもあの頃が人生で一番賢かったのは間違いないなと、三十を過ぎてしまった僕は改めて思うわけです。何故でしょうか。

それは、このくだらない世の中に付き合ってまだのうのうと生きている事を選んでいる人間は漏れなく全員バカだからです。

政治家がまたミスをやらかした。国会でくだらない事をしてる。もうこれから先の日本が良くなるビジョンが見えない。はい大正解。

じゃあ何でそんなくだらない世の中に付き合うのか。

何故自分で価値観の違う人間と同棲し、剰え子供を作って茨の道を進もうとするのか。

これはもう、狂奔という外ないのではないでしょうか。少なくとも僕は賢くなろう賢くなろうとし続けた結果、最終的に一番合理的なのはこの世に見切りをつけてさっさと消えてしまう事だと判断しました。仕事もロクにできず、ミスとロスとを振り撒き続ける僕のようなものはエネルギーの無駄なのだと。その事に気付いてしまった瞬間考えるのを辞めてしまったわけです。今なら義務教育がやたらと努力と根性を奨励していたのも何となくわかります。考えたら負け、という側面は人生において少なからずあります。

遮二無二走ってアホな事をしないと見えてこない事も多々ありますし、まさにこの世にアホしかいないのならば、見てるだけより誰が見ていなくてもとりあえず踊っていた方がまだいくらか生産的なのです。その最たる証拠が薩摩隼人ではないでしょうか。史実を知る度にハッキリ言って狂人としか思えない、山口貴由先生の世界観に現実が追い付いてしまうような狂奔さ加減が関ヶ原以降積もりに積もって遂には日本を変えてしまった。知恵棄て、強ちただの蛮勇と捨て置けるものでもないのではないでしょうか。

 

僕にも一応絵を描いている上で目標はありますが、プロになりたいわけではないのです。上手く描けたら今度は早く描かないといけなくなってくるので、美術2にそこまで求めるのは酷だと自分で思います。

でも「金にもならないのに何の為に」と今改めてオトナの人に訊かれたら僕は自信をもってこう答えます。「自分でもよくわかりません!」と(笑)

最近はもう、これくらい適当でいいんじゃないかなと思います。

こういう考え方も不惑に近いところなんでしょうかね、孔子先生?