CAN I TRUST OVER FORTY?

四十までにどれだけ惑えるかを競うブログです

三十男はアムステルダムの夢を見るか

どうも、僕です。

先日はこのブログが死ぬまでにしておきたい活動のうちのひとつである事を取り上げましたが、実は始めるにあたってもうひとつ理由がありました。

それはとある薬を飲み始めたからです。トラステラという主にADHDの治療に用いる小さなカプセル剤です。心療内科で紆余曲折の末とりあえず、一番軽い10㎎のものを処方して頂きました。

自分がADHDなのかは結局検査をしても判然としませんでしたが、インターネット上の他の方の体験談を読んでいてあまりに当てはまる事が多過ぎたので相談した次第です。

○片付けられない

○順序立て、計画がとにかく下手

△言外の意味に気付けない

○興味のない事に対してあまりに関心がない

○勉強は特に問題ない(別に得意ではないですが、一応国公立には現役で入りました)

バイアスはかかっているかも知れませんが、現に最初の職場を不本意な形で去らなければならなかった上にその後数年アパシー(これは診断されたわけではないですが)と思しき無気力感と付き合わざるを得なかったのでかなり慎重になっていました。

今の職場も上手くいっているかと問われると、素直に首肯できません。それが薬でどうにかなるならと件の体験談に書いてあったコンサータを試してみたかったのですが、その病院では取り扱いがなくトラステラも検査を経てやっと、というところでした。

ちなみに検査の結果でもグレーゾーンである、としか言われず(迂闊に言えないのでしょうけれども)、真相はいまだ掴めておりません。

 

ともあれ一応は目当ての薬を手に入れたのですが、手に入れたら手に入れたで今度は別の不安に苛まれました。副作用はもちろんですが、この薬で自分の精神をいじくり回すという事の重大さに今更気付いたのです。

つまるところ(社会の為の)矯正をさせられているという敗北感もありましたが、それ以上に『死ぬまでにしたい事』の中には小説の執筆も含まれており、物の考え方が変わるような事になると困るのです。(先回の布石というのは文章のリハビリなのでした)

飲めばさぞや頭の中がスッキリするのでしょう。でもスッキリし過ぎても困るのです。最近は少し止みましたが、作業中僕の頭の片隅では常に小説のネタであるとか、基になる問題提起だとか、そういったものがぐるぐると渦巻いていました。

職場の健康診断の欄に『つまらぬ考えが頭の中から離れない』という項目が毎回ありました。僕はつまらぬ考えがどういうものなのかよく解っていなかったので毎回特にチェックは打たなかったのですが、きっと社会からすればそれこそが『つまらぬ考え』だったのでしょう。そのつまらぬ考えのおかげで少額ながらお金を頂いた事もありましたが、それも社会様の前ではゾウに踏まれる蟻のような程度の事でありましょう.…

 

閑話休題、話があまりにも逸れてしまいましたが要は客観的な経過観察をこの場でする、というのが当ブログ第二の趣旨なのであります。いわゆる人体実験です。かつての僕と同じようにトラステラについて知りたがる方もいらっしゃるかも知れませんし。

 

結論から申し上げますと、まだよく判りません。

最初に飲んだ日はすぐ頭痛と味覚障害に襲われ「あ、流石にハイリスク薬って書いてあるだけはあるな」となったのですが、確かに摂取2時間後のピーク時には今までにないほど頭が冴えるような感覚を覚えました。口の中の味が変になるのも飲んだ少し後だけで夕食は問題なく食べられました。

ただあまりに味覚が馬鹿になったのがショックで次の日の休みは早速飲むのを止めてしまったので、実質的にはまだ二日目です。今日は初日ほどの感動はありませんでしたが、まあ高い薬飲んでるんだからとプラシーボ的な効果はあったような気はします。

ある程度習慣化しないと効果が出ないとの記述もありましたので継続的に書いてこうと思いますが、鬱屈した社会に対して薬でも飲まないとやってられない、という構図は二十世紀初頭の阿片窟と何が違うのだと、それだけは強く思いました。

一部で言われている希死念慮こそ出ていないものの、物事を順当に考えたらこれほどアホな事はないという気持ちを心の底で噛み殺しながら毎日仕事へ行っております。

 

このように、そもそも四十までまともでいられるかというのも無視できない話題なのでした。TOM★CATさんの名曲『TOUGH BOY』の一節を噛み締める夜でありますYOU。

(権利のうるさいところに目を付けられると困るので敢えて表記しません)